先日訪れた陽子チャンのお店と
同じ街に住んでいた仲良しの
お友達の下宿で
河島英五さんがお亡くなりになったという
NHKの夜のニュースを見ました。
25年ほど前で
わたしの父は今となって思い返せば
まだギリギリ存命中でした。
人が亡くなって初めて
「あのときも具合はかなり悪かったのだ」
と過去を振り返ることは
若かった頃はわかりえないことでした。
わたしはそのころ
(一年ぐらい前かな…)
静岡県の金谷町(現在は島田市)に
コンサートに来てくださった
河島英五さんを見ていましたから
突然のニュースに驚きました。
本当に不意打ちでしたし
悲しかったです。
「あのときも本当は具合が悪かったのかな」
と思うエピソードを
河島さんが舞台でお話しされていました。
楽屋でお茶を20杯飲んだ
と河島英五さんは言っていたのです。
静岡のお茶は美味しいと
褒めてくださる中でのお話でした。
まだ若く知識もありませんでしたが
ちょっと心配になりました。
自分のパソコンはまだ持たない時代だったと
思います。
ガラケーの時代で、いまとは
情報との関わり方が
何もかも異なっているなかで
なんとなく「この人大丈夫かな」と
心配に思った記憶があります。
金谷には「タバコ屋食堂」という
変な名前の食堂があって…
金谷は終電が9時前だから
今日コンサートを終えたら
電車では帰れないですよ
(あきらめてネ)
といった地元の人たちとの
楽しいお話の数々を覚えています。
地域の看板屋さんが腕を振るって描いた
(河島さん曰く)
「昭和の映画の看板のよう」な
入口の大きな立て看板を
とても喜んでくださいました。
わたしは親に誘われて
なんとなくついていった感じでしたが
楽しい時間を過ごせましたし
河島さんをあの小さな会場に呼ぼうと決めた
金谷の人たちのセンスがいいなと
感心していました。
(現在の金谷は
昔からのSLに混じり
機関車トーマスの走る素敵な街です)
河島英五さんの訃報の数年後には
父親も亡くなりましたので
なかなかに辛いことの重なった
時期だったのかもしれません。
みなさん今日も元気で
身体に気をつけて過ごしましょうね。